初恋を殺して。 1



 夢に出てきた男は懐かしい男だった。


 目が醒めて、布団から這い出てベッドの高さ五十cmを緩やかに落ちたあと、単身用賃貸マンションの部屋の主であるメイは這ったまま台所へ向かった。冷蔵庫に辿り着いて漸く体を起こし、冷蔵庫にストックしてあるオレンジジュースの紙パックに口を付けた。コップになど出さずに。
 パックに残っていた分を一度にゴクゴクと飲み干して、やっと立ち上がった。
 懐かしい、男。
 目を閉じたらすぐにもう一度眠りに落ちれそうな睡魔と戦いながら、ぼんやりと考える。


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 もう五年か六年か、あやふやになり始めた程度の昔。
 メイは商店街の端にある古書店で働いていた。古今東西雑多な本が古書店にはやって来た。白の本。黒の本。赤の本。藍の本。挙げれば切りが無い。店主は奥で作業をしている。一般の客など滅多に来そうに無い店先で、埃を掃ったり虫干しと称して読み漁ったりしていた。
 その延々の繰り返しの日々、突如現れた男。妙な威圧感のある優男。本を物色するにしては厳し過ぎる目をしているのに、メイは気付いてしまった。
「……いらっしゃいませ。何か御入り用ですか?」
 メイがそう声をかけると、男は少し間をとったあと、優男によく似合う笑顔で応えた。
「あぁ、君、従業員かな。店主に用があってきたんだけど」
「本の修理のご依頼ですか? 今作業中で、奥に詰めてるんです。私でよければ、ご依頼受けておきますけど……」
 依頼受付の伝票を棚から持ち出そうとすると、男は手を出して首を振った。
「いや、今日は引き取りなんだ。店主から直接受け取りたい」
「そんなこと言われましても……作業中は入るなと言われておりまして」
「そうか……じゃあ待つ間、一緒にお茶でもどう?」
 急に優しく手を取られて、メイは驚いて体を震わせた。
「えっと、あの、仕事中です」
「いいじゃないか、どうせ客なんて滅多に来ないんだろう?」
 メイの震えをどう捉えたのだろうか、男は畳み掛けるように誘い文句を繰り出す。
「えぇ? そ、そういう問題じゃ……」
「連れない事ばかり言わないでくれよ。それとも彼氏以外とはお茶も行かない主義かな? 君ほど魅力的なら彼氏の独占欲もわかるけど」
「彼氏?」
「あれ、もしかして居ないのかな。もしそうならこの街の男達の目は節穴で出来ているな」
 どうしよう……。最初のイメージと違って多弁な男を、メイは対処仕切れなくなっていた。
「お、お客さん、本を受け取りに来たんじゃあ」
「あぁ、そうだが……受け取れば今後何時でも読める本より、君の方が興味あるな」
「お客さん、何かか」
「クロロ。俺の名前だ。君は?」
「んちがいを……えっと、メイですけど」
「ん?」
 メイの名前に一瞬疑問符を浮かべた優男、クロロに、奥から本が飛んできた。
「わ! おいおい本は大事に扱えよ、本屋だろ!」
「他人の弟子を口説こうなんざ五十年早いぞ」
「師匠!」
 本を投げつけたのは、メイの師匠、古書店の店主、イーサンであった。
「ちゃんと修復してやったぞ。お前の持ってくる本は急ぎの癖に面倒臭くてやる気が削がれる。店先でうるさくするな」
 四十を過ぎて白髪の増えてきた髪を手で掻き上げ、イーサンはクロロを見下ろした。店の奥は靴を脱いで上がるようになっており、少し床が高いのであった。
「ちゃんと相応の金は払っているだろうが! それよりなんだ、こんな美人が弟子にいただなんて知らなかったぞ!」
「師匠、あの、その」
 愛弟子の困った声にイーサンが二人を観察すると、クロロは片手で本を取り、もう片手はメイの手を取っていた。ニヤニヤしながら口を開くイーサン。
「クロロ、持って来る本を見る度にお前の趣味はノーマルではないと思っておったが、性嗜好までアブノーマルだとは思わなかったぞ」
「何の話だ?」
メイは男だぞ」
「!!」
 バサリ。
「あ、本が」
 土間に落ちた本をメイが拾おうとしたが、メイを持つ手は意地でも離さなかったのは、尊敬に値する。


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 初めて性欲処理目的ではなく純粋に欲しい、口説こう、と思ったんだ、と回顧を告白されたのはしばらくたった後だった。
 あの時にクロロはカルチャーショックに似た衝撃を受け(敢えて言い換えれば頭のネジが一本トンだ)、すぐさま、欲しいものが女性じゃなかっただけだ、価値が性別で変わるわけじゃない、という境地まで至ったらしい。
 メイは懐かしい男、クロロ=ルシルフルと初めて会った日の事を鮮明に思い出せていた。
 あの日のことを思い出して少し笑うと、休日でだらけた心が少しだけ軽くなった気がした。
 古書店は休みだけど、少し仕事をしに行くか。
 メイは決心して、身支度をした。


続く



(次話→)
本はNeiRに出てくる魔法の本の種類です。史上最高の欝ゲー「ドラッグオンドラグーン」に続く最高欝ゲーです。