初恋を殺して。 4
あれから毎日師匠のイーサンに扱きあげられ、へろへろになって自宅につくと、なんで一人暮らししてるんだろう、などと疑問に思う。
(一人暮らしってなんで始めたんだっけ……師匠の思い付きで追い出されたんだっけ……?)
人生の中にはそういう体験も必要なのだ、とか、なんとか。あ、違う。書庫を増築したいけど部屋を一つ潰したら私の部屋が無くなるから、ついでに一人暮らしをしろ、って追い出されたんだった。
メイは一人暮らしをはじめた時のわくわく感を思い出した。懐かしい。勿論、今ではすっかり無くなってしまったが。
台所の蛇口を捻り、水を流す。最近あまり使ってないせいで、臭い。
水を流したまま、冷蔵庫を漁って食材を取り出す。
あれは、師匠なりのけじめだったのかもしれない。子供から大人へ、私を引き揚げるための。
メイはゆっくりと思考を回転させながら、取り敢えずキャベツをざく切りにした。
(えーっと、メニューは……。いいや、炒めてから考えよう)
彼の料理はいつもいきあたりばったりで、これといってメニューと呼べるような大層なものが出来たことはない。今日も野菜とバラ肉を一緒に炒めてパスタと絡めて出来上がりにする予定だ。
一人で食べるために凝った料理を作りたいとも思えず、いつも単品やワンプレートで済むものを作っている。前はたまには作ってたな……と思い出しはじめたが、すぐにやめた。思い出さなければ忘れていられる。
思い出に浸るのは、結構辛いものであった。精神力も体力もただただ消耗させられる。
もう一年。あと二年すれば笑い話に出来るさ。
「昔話、昔話。死人にクチナシ、カレーにサフラン」
「なんだそれ?」
「思い付きで言っ……だ、誰だ!」
すぐ後ろから聞こえた有り得ない第三者の声に、メイは慌てて後ろを振り向き様にキャベツの入っているフライパンをそのまま振り回した!
「よっ……と。危ないじゃないか、メイ」
黒い影がフライパンとキャベツを見事に避けたと思ったら、馴れ馴れしく名前を呼んできた。
「…………」
「メイ?」
目を見開いて微動だにしないメイを心配して、黒い影、いや、黒い男が声を掛ける。
「なんだ、なにか言ってくれよ」
「あん……、は、死んだはずだ」
なんて呼んでたか忘れてしまった。あんただったか、あなただったか、きみだったか、おまえだったか。
メイは動揺して何を考えて良いのかわからなくなっていた。
「相変わらず俺には口が悪くて安心したよ」
足がある。陰もある。
「いっ……、死ん……」
「一新? 新装開店でもしたのか? それより名前くらい呼」
「あんたは一年前に死んだはずだ! クロロ=ルシルフル!」
そう叫んで、初めてメイは自覚する。死んだというニュースを信じていたからこそ、あんなに苦しい思いをしていたのだということに。
「あぁ、あの死体。よく出来ていただろう?」
髪を掻き上げて事もなげに言うクロロ。
「……! し、しね! ほんとに一回死ね! 私の一年を返せ! 死んで詫びろ!」
メイはいろいろ恥ずかしくなって、フライパンをばんばんとクロロに向かって振り下ろす。
「わ、やめろ、何するんだメイ! 詫びろってなんだ、おい、おい!」
クロロからすれば突然逆ギレされたようなもので、全く以って意味が解らない。
「明日からどんな顔で師匠に会えば良いんだ! ばか!」
「なんだよ、笑顔で会えばいいだろ! 大体なんで俺がこんなフライパン攻めに遭わなきゃいけないんだっ」
「うるさい! 黙って私に撲殺されろ!」
「おいおい、まて、周は勘弁してくれよ!」
クロロは止める気配の無いメイの(だんだん強くなり念で強化されていく)フライパン攻撃を取り敢えず避ける。ガツン! と大きな音でフライパンとリノリウムの床が泣いた。
「いっ…、いち、ねん、かん」
フライパンを床に叩き付けたまま、メイは肩を震わせる。
「れんらく、も、なくって」
肩を丸めて俯いているメイの声が滲む。
「だれだってほんとにしんだとおもうだろ……ばか!」
「悪かったよ、ケータイ壊れてさ。しばらくは旅団の奴等とも連絡取れなかったし」
どうやったら宥められるかな、と考えながら、クロロはメイの言葉に返答する。
「受取遅延料とってやる!」
「そんくらいで許してくれるんならいくらでも払う」
足元にキャベツが無いことを確認しながら、すぐにおろせるだけの残高を思い浮かべる。問題無い。
「師匠にぼこぼこにされろ!」
「えっ」
「わ、私にぼこぼこにされろ!」
「ちょ、待て、おいおい」
雲行きが怪しくなってきて顔を覗こうとクロロはしゃがんだが、メイは丸く蹲っている為に見られない。
「本の角で頭打って鼻で笑われろ! ぐずっ」
「それは流石に陰湿……おい、泣くなよ、メイ」
まさか本当に泣くとは思っていなかったクロロは、抱きしめようとして、手を止めた。メイは女ではない事を思い出したから……というか、抱きしめたあと手篭めにすれば終わる(それでも終わらなければ殺せばいい)という選択肢しか身の中から出て来なかった事に気付いたからであった。
「お前がそんなに心配してくれてるなんて思わなかったんだ。もっと笑顔を見せてくれよ」
抱きしめるために延ばした手は、メイの傍に衝いた。
「それとも、本当に死んでいた方が良かったか?」
この言い方は卑怯だ、とクロロは言いながら思った。
「よくない……ぐず……クロ、ロ」
この状況でYesと答えるやつは居ない。
「クロロ……ぐず、さみ、寂しかった……生きてて良かった」
フライパンを手放し、メイの手が何かを求めて床をさ迷う。パン、パン、と何度か床を叩いたあと、クロロの腕に辿り着いて、掴んだ。
(熱いな……)
興奮しているメイの手が。
そして自分も熱いのだと思うクロロ。
「メイ、俺が生きていることを泣いて喜んでくれて」
それからとびきり優しく、メイの背を撫でる。
「ありがとう。好きだよ」
女に言う甘言や安売り言葉ではないように、言えただろうか。びくっと震えたメイの背に、初めて会った時の震えとの違いを見出だして、クロロは満足そうに頷いた。
メイの微かな嗚咽が収まったのを感じて、
「よし」
それがいい、と呟いてクロロは掴まれて居ない片方の腕をクロウの体に伸ばす。
「暴れるなよ?」
何をされるのか解らず、メイはキョトンとして顔をあげた。
クロロは顔を見て笑って、よいしょと抱き上げた。
「先ずは風呂だな」
「はぁ?! な、何を言い出すんだばか!」
「だってメイは汗まみれじゃないか」
「離せ! おりる!」
「こら、暴れるなよ」
「変態! おろせ! ばか!」
ばか! ばか! とクロロの腕の中で暴れるが、単身用のアパートでは風呂場と台所など距離は無いに等しい。二、三踏み出せばコンロの前から辿り着く、申し訳程度に蛇腹で仕切られた脱衣所ですとんと降ろされる。
「ほら」
そのまま半袖のTシャツを脱がされる。
「ひっ、ご、強姦魔!」
「人聞きの悪いことをいいうな。基本的に俺は……ん? あぁ、そういうコト期待してたなら是非」
ずい、と体を乗り出して来る彼を精一杯手で押し退けるが、メイは泣いた後で力がうまく入らない。
「い、いいい、いいい要らない! 要らない!」
「うわ……全力で否定されると傷付くな」
いかにも演技してます、という動作で髪を掻き上げるクロロ。
「傷付いとけ! ばか!」
「逢えなかった一年の間で、メイの口癖に『ばか!』が追加されたみたいだな」
「あんたのせいだばか!」
メイが元気になったと笑って立ち上がったが、クロロはそこで息を飲む。
「な、なんだよ」
「お前、今、街中の娼婦が裸足で逃げ出すぐらい色っぽいんだけど、やっぱり本気で襲ってもいいか?」
クロロは真顔だ。
「……ほ、ホントに死ね!」
メイは全力でクロロを蹴り倒して脱衣所の外に追い出して、蛇腹を閉めた。
『キャベツの後始末しとけよな!』
そう叫んで、メイはズボンも脱がずに風呂場へ入った。
外に取り残されたクロロは、頭を掻きながら、この家に箒なんてあったかな、と呟いた。
+--+ +--+ +--+
あんなに真面目に好きだなんていわれたのは初めてだったから、ある意味初恋だったのかもしれない。受動的な意味で。
でも、初恋は実らないって言うだろ? だから……えっと、『ちょうどいい』んだよ。
死んで、生まれ帰って、新しいスタートだ。
+--+ +--+ +--+
「でもやっぱり女の子を抱く方が気持ちいいよね」
「おい、ちょっとまて、何の話だ」
完
(←前話)
これにて、クロロとの昔話はおしまいです。仲直りできてよかったね。ん? そんな話だっけ?
ものの見事に蟻篇が無かったことにされてる(そもそもヒソカとのタイマンも無かったことになってる)のですが、まぁ、えーっと、このまま続きます。
そう、続くんです。もうちょっとだけ続くんじゃ。みたいな。