愛の無知 1
古書店の主であり古書修復技術の師であり体術の師であり念の師であるイーサンが、長々と話していた電話を置いてちょっと唸った。
それから、ああそうだ、となにか思い付いたらしくて、メイの方を向く。
「お前にちょっと派遣の仕事を頼みたいんだが」
妙に笑った顔で言う師に対して、疑念しか生まれて来ないメイは、嫌そうな顔をして返答する。
「派遣? そんな仕事まで受けてましたっけ?」
「お前もそろそろ一人前じゃないか。本の扱いも体力も念も」
「昨日の稽古で私をコテンパンにした上に『わっはっは、まだまだ青い!』とか近所に響き渡る声で豪語したのは誰だったんですかね」
「誰だオレの自慢の弟子に向かってそんなことを言ったやつは!」
「師匠ですよ。何なんですか突然」
あーあ、なんだよ絶対変なこと言い出すに違いないんだ。メイは耳を閉じて逃げ出したい気分だが、それをすると『本気』の鬼ごっこが始まってしまうので、大人しく聞くしか無くなる。
「営業を兼ねてちょっと行ってこい。気に入ってもらえりゃ大口の顧客になるぞ」
「はぁ……どこなんですか、それ」
腕を組んで神妙な声でイーサンは告げる。
「ククルー山脈」
「師匠、冗談は止してください。人外魔境でしょう、そこ」
「お前の技術なら、オレは安心して出張に出すことが出来る。うんうん。なんなら免許皆伝の書類だって書いてやるぞ」
「話をすり替えないでください、師匠」
「言うようになったなお前。それこそ、師匠の歳を考えて、あんな遠いところ自分が行きますとか言わんのか」
「行ける場所と行けない場所があるでしょう」
「そこをなんとか行ってくれんか」
「なんっ……あー、もう、師匠ー」
先にイーサンが折れたことにメイも心を折られ、渋々了承することにする。
「わかりましたよ。もちろん帰ってきたら私の作業椅子が新品に替わってるんですよね?」
「出張手当の代わりでよければ考えてやる」
「すいませんでした手当でお願いします」
なんで私が負けた気分になってるんだろう……と釈然としない思いを抱きながら、メイは途中だった作業を再開した。
+--+ +--+ +--+
一週間後。
ここはククルーマウンテン、ゾルディック家正門。
「すみません、ソロウ古書店のものですが」
メイは慣れないスーツにネクタイという出で立ちで、大きな門の傍にある小さな守衛所の窓に向かって声をかける。大きなキャリーバッグが、メンテナンスのサービスマン風の印象を強めている。真実メイはメンテナンスサービスに来ているのだが、着慣れないスーツの所為で、風、がとれない。
声に出して古書店名を出す度に、ソロウとは何かを未だに教えてもらえ無い事を思い出す。イーサンの姓はソロウじゃない。
「はいはい、きいてますよ。どうぞ」
人の良さそうなおじさんが顔だけ出して、そう言う。
「いや、あの、扉開けてくれたりしないんですか」
動こうとしないおじさんにそういうが、おじさんは笑ったまま、「扉はご自分で開けていただく事になっておりますので」と言うばかり。
「えー、あの、どこを。どうやって」
「その、大きな石の門を、素手で、押して。です」
「これ壁じゃ無かったんだ……。そこの小さな扉は?」
「オススメしませんなぁ」
こんな感じで言われてしまうものだから、どうするべきかよくわからず、取り敢えず、扉の前に立った。
「コンコン」
メイは声にだしながら、石門をノックする。紛う事なき石の塊であり、相当の重量がある。
(やれば出来るかもしれない!)
メイは自分にそう暗示をかけて、両手を突いて力を籠める。
「ふぬぐぐぐぐあああ あ あ あ」
ジョリっ。
「も、もう無理! あかない!」
手を離すと、またジョリっといった。
「時間をかけて少しずつ開けるのも無理か……」
そうして溜め息を吐いてから、あ、いいことを思い付いた、と言った。
「私が通れれば良いし、両方開ける必要も無いんじゃないかな」
うんうん。と一人納得して、片方の扉に体を当てる。
「よいしょぉぉおお お お お!」
ぎ、ぎ、ぎぃ。
「うわぁぁいまだ!」
なんとか開けた半身の隙間にメイはキャリーバッグと一緒にするりと入った。
その様を見ていた守衛は
「おや。ただの優男じゃなかったのか。これは意外」
やはり優しく見守っただけだった。
+--+ +--+ +--+
門を抜けると、鬱蒼とした森であった。
山脈であることを考えると、森ではなく、山の中と言った方が正しいのだろうか。
歩きだす前に、後ろを振り向いて門を見た。蝶番がない。もしかして、ただの岩だったんじゃないだろうな……。
目の前には小道が一本、奥へ伸びている。メイは兎に角それを辿ることにした。
そうだ、師匠に着いたことを連絡しておこう。
歩き出してからそう思い付き、ケータイを取り出して電波を確認する。入る。流石、だれか住んでるだけあるな。
少ない電話帳の中からイーサン個人のケータイ番号を探し出す。数回のコールの後、すぐに電話は繋がった。
『おう、メイ、ついたか?』
「師匠、メイです。今、門に入りました」
『おお、無事だったか。お前、あの門どこまで開いた?』
イーサンの声が嬉しそうなものにかわった。しかし、メイには意味がわからない。
「は? 何の事ですか」
『あそこの石門はなぁ、かけられた力によって開く大きさが違ってな。わしは三まで開いたぞ』
どうだ、すごいだろう。と言ってくる師匠のしたり顔が声音から容易に想像できて、メイは少し項垂れてしまった。あぁ、電話越しでよかった。
「それ何年前の話ですか。私はどうにかこうにか半身を滑り込ませたところです」
『なんじゃい、張り合いが無い』
「知ってたんなら言ってくださいよ……」
『言っておいたら、お前行かんだろ』
「えぇ、そうですね」
『わはは。いろんな人と会うのも修業だ。気に入られて帰ってこいよ』
「はいはい、わかりました」
その言葉は出掛ける前から耳にタコが出来るほど言われたものだった。
『メイ、はい、は一回!』
「はい、師匠。では何かあったらまた連絡します」
『うむ。がんばってこい』
そうして電話を切った。道はまだまだ続く。
そろそろ飽きてきたなぁ、などと不謹慎なことを考え出した時に、人影が見えた。
「よかった、一本道で迷ったんじゃないかと心配だったんです」
「どちら様でしょうか」
人影は、少女だった。ドレッドが印象的で、パリッとした服に身を包んでいる。
(わぁ、かわいいなぁ)
喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込むと、一礼した。
「ソロウ古書店のメイと申します。蔵書のメンテナンスに伺いました」
「話は伺っております。もうしばらくすると執事の館がありますので、そちらでお待ち下さい」
少女は一礼して、その身で塞いでいた道を開けた。
「あの、ちょっと伺いたいんですけれども、えーっと、お嬢さん?」
どう問い掛けたら無礼にならないだろうか、と、考えながら、メイはそう言った。お嬢さん、はちょっと失礼だったろうか。彼女は仕事でそこに立っている筈だ。
「おじょ……。執事見習いの、カナリアでございます。如何なさいましたか、メイ様」
「カナリアさん。あの、執事の館って、ここからまだまだかかりますか?」
「ここは正門から半分といったところでしょうか。本邸はまだ奥になります」
「まだずいぶんある……わかりました……」
メイは項垂れてそういうと、バッグの持ち手を引いて歩きだした。カナリアはへんな人だと思いながら、その後ろ姿を見送った。持ち場は離れられない。
+--+ +--+ +--+
とぼとぼと、よく手入れされている一本道を辿ると、お屋敷が見えてきた。
メイから見ればかなり立派なお屋敷だが、これがさっきカナリアが言っていた「執事の館」なのだろう。
扉の前まで来て、呼び鈴が無いことに気付くか否かというタイミングで、扉が開いた。
「ようこそお出で下さいました、メイ様。執事長のゴトーと申します」
「どっ……どうも、ソロウ古書店のメイです。本のメンテナンスの依頼を受けまして、参りました」
「はい。伺っております。ここから旦那様のお待ちの本邸までまだ少々ありますので、御休息いただけますが、如何でしょうか」
「えっ、あ、あの、じゃぁ、申し訳ありませんがお手洗いを」
すごく丁重に迎えられて、メイはどうしたらよいか戸惑った。
ゴトーに案内されて厠へ向かう。豪華できらびやかという風ではないが、品質に見合う対価が惜しみ無く払われているようだ。
緊張と運動による代謝からくる尿意を解消すると、ほっと一息ついた。
吹き抜けのロビーに戻ると、ゴトーがまだ待っていてくれたので、メイは勇気を出して本宅までの「具体的な数値」を聞くことにした。
ゴトーはニッコリ笑ったまま、窓から山を見るように促した。
「山?」
木々で出来た水平線のような中に岩肌の山が飛び出ている。
「あそこでございます」
「え、いやいや、ははは、まさか。いやだなぁゴトーさん」
「冗談ではございません。この山脈すべてゾルディック家の私有地でございます。日が落ちますと星明かりしかございませんので、いくら道があるとは言え歩いておられると遭難されるかも知れません」
「遭、難……!」
まさかそんな事を言われるとは思ってもおらず、メイは頭が真っ白になる。
「旦那様からは昼食をお出しするように承っておりますが」
「そんな悠長に食べてたら日が落ちるまでにつきません!」
メイは急いでキャリーバッグの持ち手を収納して、ジャケットを脱ぐ。キャリーバッグに押し込んで、首元を緩める。
「何を急いでいらっしゃるのですか?」
ゴトーは慌ただしく身支度?を始めたクロウの真意を掴み損ねて、尋ねた。
「なに、って、あんなに遠いのに、歩いて行ったら遭難確実じゃないですか! は、走っていく準備を、あぁ革靴で来るんじゃなかった、」
サラリーマン風に撫で付けておいた髪を手櫛でほぐしながら答える。歩きは無理でも、全力で走って行けばなんとかなるかもしれない!
「ははは、随分ユニークな方ですね」
「な、なんでそんな、わら、」
「申し訳ございません、旦那様から話をされているとの事でしたが、うまく伝わってはいらっしゃらないようです」
まだ笑いたそうな雰囲気を残しながら言うゴトーの言葉に、クロウは動きを止めた。
「な、何かあったんですか? 私は上司からは何も……」
「この館から本邸までは、飛行船でご案内いたします。いくら門を開けて入ってこられたとはいえ、ハンターでもないお方をこの山で独りにするわけにはいきません」
そう言ってゴトーがパチンと指を鳴らすと、男が一人入ってきた。ゴトーとよく似た服を着ている。彼も執事に違いない。一礼して、メイの荷物を持った。
「私は仕事の都合でお送り出来ませんので、ここからは彼がご案内いたします」
メイと同じか少し若いだろうか。
「ウィルと申します。では早速ですが、メイ様、飛行船へご案内いたします」
「あっ、はい!」
ジャケット返してくれないかな、とか思ったけれども言う隙も無くウィルはキャリーバッグを持って行ってしまう。
「ゴトーさん、では、失礼します!」
「お気を付けて、メイ様」
メイはゴトーの礼に送り出されつつ、ウィルを追って飛行船へ向かった。
続く
(次話→)
もうちょっとだけ続くんじゃ。のはじまりです。また名前変換できないオリキャラでてきてます申し訳ありません。
さてどうなることやら……(11/05/27:まだ書き上がってないので不安いっぱい)