愛の無知 2



 ゾルディック家の本邸まで、飛行船で三十分かかった。
 その内に髪を直してジャケットを着直して(しかもプレスし直してもらった)紅茶を一杯貰った。食事はどうやら、本邸で招かれるようだ。
(仕事の前に死にませんように……!)
 そもそもただの業者と依頼人の仲のはずである。普通もっと素っ気ないだろ。いろいろ師匠に騙された気になってきたメイ
(だいたい、初対面だし、こんな、大きな家で、ご飯に呼ばれるなんて……!)
 ぐるぐるしながらキャリーバッグをもって飛行船を降りた。
 若い執事、ウィルに率いられて建物の中に入る。天井はかなり高く、豪邸というより城の様だ。
「この部屋で旦那様がお待ちです」
 大きな扉の前立ち止まったウィルにそう言われ、一気に緊張が高まるメイ。カチンコチンになったメイを見て、ウィルは眉をハの字にした。
「ご安心下さい、旦那様は依頼でも無い限りいきなり襲ったりされませんよ」
「そそそそういう意味じゃなくてですね、あの、その」
「?」
「こ、こういうのはじめてで……」
「?」
 あれ、この人何しにきたんだ? なんてことをウィルは胸中で思いながら、面倒臭くなってさっさと扉をノックした。
「旦那様、メイ様がお出でになりました」
『入れ』
「失礼いたします」
 ウィルは丁寧に扉を開けて、メイを中へ通した。執事は戸より内には入らないらしい、メイが中に入るとまた「失礼いたします」と扉を閉めてしまった。
 廊下と同じく少し高い天井、心地好い空調、奥に窓が有るがその向こうは森の続きで、それら総ての中心に白いふわもじゃ……じゃない、大男が座っている。彼が「旦那様」だろうか。
「は、初めまして、ソロウ古書店より参りました、メイです。この度は御依頼頂きまして誠に有り難うございます」
 メイの中で精一杯ビジネスマン風の言い回しを捻り出して、丁寧に礼をした。
「よく来てくれた。俺はシルバ=ゾルディックだ。まぁ座ってくれ」
「はい、しつれいします」
 促されて、ソファのそばにキャリーバッグを止め、座った。柔らか過ぎない柔らかさが絶妙のソファで、まさに逸品。
「ふむ……あいつの弟子なのに出来た男じゃないか。反面教師か?」
 予想していたよりもずっと砕けた雰囲気で話し掛けられてメイはかなり驚いた。
「えぇと……師匠の事をよくご存知のようで」
「イーサンから依頼の内容を聞いているか?」
「古書のメンテナンス、と」
「ふむ、まぁ間違ってはいないようだが」
「えぇと、なにか問題でもおありでしょうか? 私で対応可能な範囲でしたら、なんなりとご注文いただけたらと思います」
 門の話も飛行船の話も聞かされてないくらいだから、きっともっと問題があるに違いない。どうせ店で悠々とちみっこ相手に遊んでいるであろう師匠へ呪いの念を送りながら、メイは精一杯の営業スマイルをした。明日は頬が筋肉痛になるかもしれないという覚悟をしながら。
「なに、難しいことではない。確かに何時も通り蔵書のメンテナンスも頼む。もう一つ、追加で依頼したいことがあってな。その話は本人から聞く方がいいだろう」
「はぁ……」
 いつもどおりってなんだ。頻繁に仕事うけてんじゃないか。今度も師匠が受けとけよ!
 生返事をしながら師匠への呪念を思うが、なかなかいい罵り言葉が見付からなかった。
「ミルキ、入れ」
 ふわもじゃが扉に声を掛けると、部屋の奥にあった扉が開いた。
「親父、前置き長くね?」
 デブが入ってきた。侍女に持たせた菓子を食べながら。
「ミルキ、客の前だぞ。慎め」
「金払うのは俺なんだからいいだろ」
 その様を見て、メイは(すべてがもったいない男だ)と思っていた。半分は呆れていたか。
 白い肌や黒い髪は艶やかで手入れが行き届いているし、切れ長の目も美しい。だがその体型と食い意地の汚さが台無しにしている。
 ともあれ、金を払っているのはそっちであるし、菓子を投げ付けられでもしないかぎりメイは特に気にしない。
「シルバ様、どうぞ御子息の御自由に……」
メイ、ミルキを甘やかさないでくれないか」
「えっ、いや、そんなつもりでは……それより御依頼というのは」
 取り敢えず話を元に戻す。
(早く本に触れたい……もうやだ……)
 そろそろ昼を超えるあたりだろうか。空腹を感じてきたが、菓子の類は近くでもちもちほっぺがもぐもぐしてるし、ふわもじゃは三日くらい食べなくても平気そうな厳つい顔をしてるし、食欲よりもなによりも、もうこの場を離れて仕事に入りたかった。
「あぁ、それね。アンタ、本の修復も出来るんだろ? 古い雑誌の修復をしてくれよ」
 ミルキはクリームが着いてしまった指を(クリームを嘗めとった後で)侍女に拭かせながら、事もなげにそういった。
「本! の、修復ですか! それならば是非ともお受けさせていただきます!」
 どんな難題を吹っ掛けられるのかと思っていたら、何のことはない、本のことであった。
 よかった。本当によかった。
 歓喜するメイの様にゾルディックの二人は若干引いていたが、メイには知る由もなかった。


+--+ +--+ +--+


 そのまま昼食へと、案内された。メイはシルバのもじゃふわ髪が揺れるのを後ろから見つめつつ、がらがらとキャリーバッグを転がしてついていく。
(さわりたいなー。ふわふわっていうよりごわごわとかだったらどうしよう。でもきっとふわふわなんだろうなー。さわりたいなー)
 無事に初対面を済ませると、空腹も相俟って、メイはいつものフリーダムな思考回路に戻っていた。
 短い道程を終えて食堂に入ると、帽子を被ったモノアイ人?が座っていた。
(?!)
「あらあなた! かわいらしいお客さんね!」
 キーンと綺麗な声が響いた。甲高い独特の反響がメイの耳を通過していく。
「キキョウ。メイだ」
「は、はじめまして、ソロウ古書店のメイです。お招きいただきましてありがとうございます」
 ぺこりとお辞儀をすると、あらあら!なんて言われる。
「私はキキョウですわ。ご丁寧に挨拶いただきまして!
 あらミルキ、珍しいわね、貴方がお父さんと一緒にくるなんて」
「別に親父と来たかったわけじゃねぇよ、客と一緒だっただけだ」
「まぁまぁ! 照れ屋さんなんだから、ミルキったら! 可愛いわねぇ!
 あらごめんなさいお待たせして。メイさん、どうぞおかけになって下さいな」
「では、失礼いたします」
 扇子で促された席に座る。木漏れ日の入る明るい中庭の見える、上品なホールだ。
「寂しくてごめんなさいね、みんな今日は仕事で出払ってるの」
「夕飯には帰ってくる者もいる」
「今日の夕飯は楽しそうねぇ」
「親父、お袋、いいから飯にしようぜ」
「あら、そうだったわね! メイさんお腹すいてますでしょう!」
 怒涛の勢いにメイは曖昧な笑みを浮かべることしか出来なかった。
(あれ? もしかして夕餉も一緒なの決定なのかな?)
 嫌なわけではないが、普段は一人、多くても師匠又はクロロと二人という生活をしていると、大人数でしかも初対面の相手ばかりと食事をするとなると気疲れする。メイとしてはインターバルを挟んでほしいところだ。明日は解放されるだろうか。
 いろいろな憂いが胸中を過ぎって行くが、なにはともあれ運ばれてきた美味しそうな食事に専念することにした。
 カラフルな野菜の並ぶシーザーサラダ。あっさり目のトマトソースパスタ。上品なコンソメスープ。フルーツの盛り合わせ。それから、数種類の柑橘果実がブレンドされたフレッシュジュース。
 爽やかにまとめあげられたランチは、美味しいだけでなく心地好い。
 あぁ、ただ。ミルキの前に並べられた量がメイの三倍くらいの量だったことだけは特記しておく。


「旦那様、少しお伺いしたいことがあるのですが」
 粗方和やかな歓談とともに食べた辺りで、メイは切り出した。
「なんだ?」
「先程のミルキ様御依頼の件ですが、修復となると時間がかかる場合が多いです。先に着手してもよろしいでしょうか? 可能な限り同時にメンテナンスを行う予定ですが」
 滞在時間が延びればその分経費が嵩む。わざと引き延ばしてぼったくろうなんて考えはメイにはこれっぽっちもないし、どんな契約をしているのか聞かされぬまま古書店から押し出された(決して「送り出された」では無い)為、どんなふうに仕事をすればいいのか少し迷っていた。二つ仕事があるのなら、待ち時間のある修復を先に行うべきであろう。
「あぁ、そのことか。問題無い。メイのやりやすいように作業してくれればいい」
「ありがとうございます」
 先に受けた仕事を後回しにするようで気になったが、あっさり了承をもらえた。これが上流の余裕というやつだな、とメイは感じた。




続く



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えー、しばらくはこんなかんじですすみます……