愛の無知 3
メンテナンスよりも修復に先に取り掛かることに了承を貰ったメイは、ミルキに先導されて屋敷の中を歩いていた。
二人が歩く音とメイのキャリーバッグが鳴く音以外は聞こえない、静かな屋敷であった。
ミルキはちらちらとメイの様子を伺っているが、当のメイは物珍しさにキョロキョロしていて気付かない。
「なぁ」
ミルキはようやっと声をかけた。自室前に着いたからであるが。
「ふぇっ?! あ、すみません、なんでしょう」
わぁ、変な声がでてしまった。恥ずかしさに顔を赤らめながらメイは返事をする。
「ぉ……いや、俺の部屋着いたんだけど」
「あっ、はい。……申し訳ありません、こんな立派なお屋敷に伺うの、初めてで」
「ふん、なら後で案内してやるよ。スッゲー広いからな!」
「わぁ、本当ですか?」
「あ、でも、雑誌が先だからな!」
そういいながらミルキは巨躯を揺らしながら扉を開けた。
光の入らぬ部屋。
一面の、ショーケース。本棚。メディアラック。
ウンウンとうなるPCに、輝く多面ディスプレイ。
そして溢れたごみ箱…………これは見なかったことにしよう。別に部屋全体がゴミ部屋になっているわけではない。
「すごいコレクション……」
壁を埋め尽くすラインナップの詳細がわからなくとも、質と執念だけはわかる。一点物だろうか、ところどころに念の篭ったフィギュアがある。メイはキョロキョロしてしまうのを自制できなかった。
「なんだ、お前も見る目あるな!」
僅かに興奮した声でミルキが言った。メイは良いものを見れそうだとニコニコしながら
「これでも半分古物商です。良し悪しなら解りますよ」
と答えた。ミルキは返答に肩を落としたが、メイは気付かない。クロウはまだ物珍しそうにショーケースを眺めている。
「あっ、雑誌」
メイが声を上げて、二人は我に返った。そう、仕事だ。
「どんな状態なんでしょうか? 余程特殊なものでない限り修復出来る道具を持ってきてありますので、大丈夫だと思うのですが」
「これだ」
ミルキが奥の机をだしてきた。その上に載っているのは、開き癖で二つに割れた上に何か液体を零された跡のある元雑誌であった。
「これは……随分と古そうですね」
波打った表紙を見ると、現在でも大人気の漫画雑誌のようだ。雑誌は取り扱ってないからあんまり詳しくないんだよね、と胸中で呟く。
「百年くらいだからそうでも無いだろ? 折角オークションで競り落としたっつーのに読んでる最中に二つに折れるわ食ってたラーメン零すわでさー。呪いの初号の噂は本当だったんだなー」
呪いの、と言われてメイが目を凝らすと、僅かに念の残滓が見える。ラーメンを零されて呪い続けるのを諦めたんだろうか。
「中はところどころ貼り付いて読めないページもあるしさぁ。全部綺麗にしてくれよ。まだ読んで無いところ結構あるんだ」
あるいは、満足したのかもしれない。
メイはそう結論付けて、キャリーバッグから手袋を出した。
「では、状態確認をしますね」
割れた背表紙が気になって、先ず初めに確認した。何の変哲も無い古い雑誌だ。割れ目は普通に糊が千切れたようだ。背表紙、クリア。
ラーメンをぶちまけられたらしい表紙を見る。茶色く変色しているのは、日光、皮脂、ラーメンの三拍子揃った最悪の状態の所為のようだ。ラーメンなら何とかなりそうだが、残りの二つは厳しい。化学変化をおこしたものはメイの念では直せない。検分終了ということで、表紙、クリア。
表紙側の半分は、もちろん内側も波打っている。ラーメン分は何とかなるからスルーして、ミルキの言っていた、貼り付いている部分とやらを探す。ぺらぺらとめくっていると、そのページに辿り着いた。
血痕だ。血液で貼り付いている。それから、念の残滓。ちぎれちぎれに残っている念をつまんでみると、ギャーという小さな声と共に消え去った。
「お、おい、今の声は何なんだよ」
ミルキが耳聡く聞いた様で、怯えた顔でメイに問い掛けた。
「呪い、ですよ。消えてしまいましたけどね」
メイの手袋は、イーサンから与えられた特別な、念糸で出来た物だ。多少の念なら打ち消す力がある。勿論発動のための条件はかなり多い。お値段も、かなり高い。
「そんなもの、つまんで大丈夫なのか?」
「大丈夫な手袋なんです。こういう時にしか使え無いんですけどね」
血痕かぁ……まぁ、大丈夫だろう。
メイは自信なさ気に、クリアとした。
もう半分の塊も検分する。ラーメンの被害が無い分未だ増しというか、下半分が血糊でベッタリで前半分より酷いというか、兎に角、量が多すぎる。ちょっと師匠に相談してみよう。クリア。
検分はこんなところか、とクロウは息を吐いた。
「ミルキさm」
「ミルキでいい」
「?」
真意が汲み取れない。
「面倒臭くなったからもうソレでいい」
こっちが金を払ったとはいえ、使用人と同じ扱いは酷いかもしれない。というミルキの心変わりである。
「じゃあ、ミルキ。背表紙の修復と、ラーメンの跡、貼り付いている原因の血痕の除去は何とか出来ると思います。でも、日焼けと紫外線による退色は、できません。呪いの原因も消えましたから、呪いの雑誌という価値も無くなってしまいました」
メイは手袋を外して、電卓を取り出す。
工賃、技術料金、使用するであろう消耗品費、出張費……これは他の依頼のついでだから消しておこう。手袋の使用料も入れておかなければ。
「背表紙、ラーメン、血痕、をすべて修復するとして、これぐらいですね。ページ数も少なくないですし、七日くらいは最低でもかかると思います」
電卓を見せる。経費としては正当な値段だが、正直なところ、メイにはこの雑誌に修繕費を払う価値があるとは思えなかった。
「ふーん」
ミルキは電卓の数字を一瞥すると、それだけ言った。
「もしお値段がアレでしたら、血痕除去のみにされますか? ラーメンも見れないわけじゃないですし、背表紙ならガムテで止めれば読めますよ」
「なめてんのかお前! 全部綺麗にしろって言ったじゃねーか!」
「あ、あぁ、そうでしたね」
値段が高くて渋ってるわけじゃ無かったのか。メイは驚きつつ、電卓を仕舞う。
「じゃあ暫くお預かりして……どこか作業部屋を頂けるといいんですが」
「東の方に部屋を準備するって言ってたから、メイドに案内させる」
PCのそばに設置してあったボタンを押すと、時間を置かずに入口の扉がノックされた。
「入れ」
「失礼いたします、お呼びでしょうかミルキ様」
メイドだ。なんという早さで来るのだろうか。訓練されすぎだろう。
「メイを部屋に案内してやれ」
「畏まりました」
メイドはメイのキャリーケースを軽々と持ち上げ、ミルキに一礼した。
「メイ様、お部屋の準備は出来ております。ご案内いたします」
くるっと背を向けて歩き出すものだから、メイは慌ててミルキに声をかける。
「ミルキ、中を案内してくれるっていう約束、忘れないでよ!
メイドさん待っておいてかないで!」
元雑誌達を取り敢えず掴んで、メイドの後を追う。重い荷物を抱えてすたすたと歩く彼女は、ただの女中には見えない。
(訓練されてるんだろうなぁ。襲っても襲われても歯が立たないんだろうなぁ)
ぼんやり後ろをついて歩いていると、平地を歩くような早さで階段を4階分上らされた。
「あの……メイドさん、まだですか?」
「もう少しでございます」
あまりの長距離移動にメイは声をかけたが、メイドには涼しい声で返されてしまった。
階段からフロアの端まで歩かされて明日の筋肉痛を覚悟したあたりで、漸くメイドが止まった。
「メイ様のお部屋はこちらになります。どうぞ御入り下さいませ」
言われて開けた扉の向こうは、豪邸だった。
「えーっと……ここ、ひとりで?」
「左様でございます。
お部屋の説明をさせていただきます。右手奥の部屋がベッドルームです。ベッドルームの奥からバスルームへ繋がっております。左手前は簡易キッチンとなっております。左手奥にもう一室ございますので、御自由にお使いください。
また、各部屋の入口とリビングのテーブルに並んでベルボタンがございます。何時でも控えておりますので、御入り用の際はお呼び下さい」
「はぁ……わかりました」
怒涛の勢いで説明されて、メイはなんとか返事をした。取り敢えず、何かあったらボタンを押せば良いらしい。
「では失礼いたします」
メイドは抱えていたキャリーバッグを扉の内側に置いた後に丁寧に一礼して、廊下を引き返して行った。
メイは持っていた元雑誌達をリビングのテーブルに置くと、ジャケットを脱いでソファーに放った。
「あー、つかれた」
知らない人に囲まれるのは、疲れる。
キャリーバッグを傍まで運んで扉を閉めて、メイはソファーに転がった。
少しして眠気が襲ってきたが、身を委ねることにした。
続く
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手袋はイーサンの伝手で仕入れています。念糸なのかコーティングみたいなのかはわかりません。すごく高いんだって。やだわー。