愛の無知 5
ノックの音で我に返ったメイは、なぜブルーシートも持ってきてもらわなかったのかと後悔した。
「メイ様? ディナーの支度が整いましたのでお呼びに参りました」
メイドは部屋に入ったところで留まり、様子をうかがっているようだ。メイは慌てて作業室を出る。
「はい、ごはん、ですね」
左手から落ちそうな水滴を右手(の吸水紙)で必死に止めながらなんとか返事をする。
「何か問題でもございましたか?」
「あ、えと、あの」
床が……と口を濁すと、メイドが奥の部屋まで様子を見に入っていく。
「あら」
床に散らばるのは、湿って千切れた紙の成れの果てである。
「机の上は触りません。床を御戻りになるまでに片付けておきます」
「よろしくおねがいします……ブルーシートでも敷いておいてください……」
「かしこまりました。
ではメイ様、皆様がお待ちですのでご案内いたします」
部屋はそのまま、メイはメイドに案内されて部屋を出る。長い廊下を黙々と歩く。
伝達とか大丈夫なのかな、なんて心配するが、まぁ何かあるのだろう。全部音を聞かれてたらいやだけど。そういえば、部屋の電気はつけっぱなしだ。なんていうか、ちょっとした罪悪感があるなぁ……。
メイはそんなことをぼんやりと考えながら歩いていたため、階段へ曲がり損ねて壁にぶつかった。顔面を強打する。
「がっ! ……へ、ふぁ、」
「大丈夫ですか、メイ様」
前を歩くメイドがを顰て駆け寄ってくる。
「らいじょうふれす、ぐぐ、鼻血出なくてよかった」
「御気を付け下さいませ、メイ様。迷子になられても、居場所がわからなければお迎えに行けません」
声音から、どうやら本気で心配されているようだ。
メイは頭を掻いて、どうもすみません、と謝って、今度は壁を気にしながらメイドの後を追った。
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晩餐にゾルディック家の人間は四人だった。
「皆さんもうお揃いだったんですね! お待たせしてしまったようで申し訳ありません」
まさか揃っているとは思わず、メイは驚いた。
昼食を共にした三人と、黒い長髪の青年だ。
「初めまして、ソロウ古書店のメイです」
席に着く前に、と青年に一礼する。青年は真っ黒な瞳でじぃっと見つめたあと、
「ふぅん、話は聞いてたけど、何だか納得した。
オレはイルミ。さっさと座れば?」
と冷たくあしらわれた。いや、名前を言ってもらった分、そうでもないのだろうか。
(は、話?! 納得ってなんですか!!)
聞くに聞けずメイは半分固まったまま、席に着いた。ミルキの隣だった。
「メイ、親父と末の息子が帰ってくるはずだったが急な仕事が入ってな。予定していたよりも少ない人数だが、夕餉を始めよう」
グラスを軽く上げて音の無い乾杯をして、一口飲む。辛口の赤ワインで、メイは心の中で涙目になりながら飲んだ。辛口のアルコール飲料は苦手だ。
隣からガツガツと音が聞こえてきて、本当にそんな音が出るんだ……と感心しながらメイも食べはじめた。
「メイ(もぐもぐ)おまえさ(ごくん)明日空いてる時間(むしゃむしゃ)いつだよ(むしゃごくん)」
「ミルキ、食べるか、喋るか、どっちかの方が、美味しいと思うよ」
「(むしゃむしゃもぐもぐばりばり)」
「食べる方をとるんだ……」
まぁ予想通りだけど。暫く食べていそうなので、メイも食べることに専念する。向かいの猫目の青年の視線が、妙に痛い。何かしただろうか。思い当たる節はない。
「(ごくん)確かに、そうかもしんねーな。
で、明日だけど」
粗方を食べ終わったところで、ミルキは口を喋ることに使いはじめた。
「昼過ぎには一段落すると思うよ。雑誌、気になるの」
そんなに読みたかったのか。急いでも急がなくてもかかる時間はそんなに変わらないよ。などと思っていたら
「ちげーよ! 約束しただろ!」
と返されてしまった。
「あ、うん。そうだった。どうしたらいい?」
屋敷の中を案内してくれるという約束だった。
「手が空いたら俺の部屋に来いよ。メイドに言えば場所くらい案内するし」
「あぁ、はい。なるほどね」
私が部屋の場所覚えてないの御見通しってわけですか。メイは苦笑しながらメインディッシュの最後の一口を食べた。美味しい牛肉料理だった。
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その夜は少しだけ作業をして、すぐに寝ることにした。疲れた……いや、気疲れした。いろいろなことが一度に起きて、なんとなく面倒な気分になったのだ。
いつもより広すぎるベッドに倒れ込んで、明日の作業を考える。
大丈夫だ。最初に想定していた工て……い…………
続く
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