環来 033
合格者のための講習を終えたあと。俺は最終試験で約束した通りレオリオから外れた指輪をヒソカに渡すために、レオリオ、ゴン、クラピカと別れを告げた。
講義室の扉を出たあと、ヒソカは三人とは反対側へ向かって歩いていったのを見てるから、そっちに向かえば会えるだろう。そもそも、指輪が外れたら寄越せと言っておきながら、連絡手段もないのに離れてどうするつもりなんだ。
ん? もしかして約束を反故にするチャンスだった?
いや、なんとなく、それは駄目だろ。という気がする。(元)健全な社会人として、口約束だって契約だし、そもそも後払いで対価を払わないとか踏み倒しだろ。犯罪だ。
いや、人殺し相手に何を言ってるんだか……。
と、そこで、ピエロの後ろ姿が見えてきた。
「ヒソカさん」
声をかけると、振り向いてきた。あ、まだイルミと一緒だったのか。
「おや、メイ」
「えっと、話の最中だったかな。出直そうか?」
そう言うと、イルミの猫目が細められた。え、本当に不味かったのかな。聞かれて不味い話はしてなかった気がするけど。
「キミ、ゴンと一緒にウチに来るんじゃなかったの」
あ、そういうこと? キルアのことほったらかしになるもんな。それで機嫌悪いのかな。
「いや、弟さんに用がない訳じゃなくて。ヒソカさんとの約束があるから」
「なんだいそれ」
「えええ、ヒソカさん忘れたんですか。指輪」
「おや、もう外れたのかい」
ということは、あの講習中のやり取りは聞いてないってことかな。すぐ後ろだったと思うけど……まだ来る前だったっけかな。
「なに、俺もう関係無いなら先行くけど」
イルミはもう俺への興味が無くなったのか、そんなことを言い出した。
えー。髪の毛……。さすがに諦めようこの件は。きっと命がいくつあっても足りない。
「そう。じゃあまた何かあったら依頼するよ」
「知り合いのよしみで受けてあげるけど、ちゃんと払うものは払ってよ」
「わかってるよ。じゃあね」
「え、えっと、お疲れ様でした」
二人の会話だけど、なんも声かけないのも不味いと思い、そう言った。
イルミは俺を一瞥してから踵を返し歩いていった。
「家から迎えとか来るのかな……」
あ、やべ、声に出てた。
「さあ? なに、メイはボクよりイルミの方が気になるのかい」
「凡人にはわからない生活だろうな、という興味はあるよ」
テレビの番組で見てみたい、みたいな好奇心。
「それよりヒソカさん、指輪、渡す前に、伝えておきたいことがあるから、どこか座れるところへ行きたいんだけど」
「キミ、お金無いんじゃなかったの?」
「ぐ、そうでした。そこの階段でいいかな」
「わかったよ、これも貸しにしてあげるから、店に入ろう」
「アリガトゴザイマス……」
俺は情けなさに片言になりつつ、ヒソカの後ろをついていった。
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一階には喫茶店が併設されていた。ので、そこに入る。人気が少なく、奥の方の席に案内してもらった。
「珈琲でいいかい? じゃあ、二つ」
手慣れた感じで俺の分まで注文するヒソカ。デートかこれは。
「話ってなんだい」
「指輪について、判ってることをヒソカさんにも伝えておかないと、と思って。
レオリオから外れて解ったんだけど、これは誰かに嵌めてて貰わないと不味い代物らしい」
ポケットから指輪を取り出してテーブルに置く。
「いいよ。初めから嵌めるつもりだった」
「そうだったんだ? 意外だな。金銭の代わりに要求されたのかと思っていた」
「それならもう少し確実に手に入るものを言うさ。
その指輪、嵌めてたらキミが血相変えてとんできてくれるんだろ?」
からかいの声でヒソカが笑いながら聞いてきた。湿原の時のことを思い出してるんでしょ。あれ大変だったんだから。
「笑い事じゃないんだってば。あまり遠くに離れられないし、ヒソカさんが怪我したら駆けつけなきゃいけない。
さらに、これは左の薬指にしか嵌まらないし、二人の同意の上で期限を決めなきゃいけない」
「期限?」
「そう。例えば、俺達は九月一日までの契約、とかにして、俺もヒソカさんもそれでよければ、俺がヒソカさんの左の薬指にはめる。そうすると指輪が抜けなくなる」
「ホットコーヒーになります」
そっ、と目の前にカップが出現してビックリした。そうだった。
「ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
俺は店員にそう声をかけて、とりあえず砂糖をぶちこんだ。シュガーポットについている小さなスプーンで、一杯、二杯……三杯。
「フレッシュは共用か。ヒソカさん使います?」
「今はブラックの気分だからいいよ」
「じゃあ遠慮なく」
かき混ぜて砂糖を溶かしたあと、明らかに半分よりも多い量を珈琲カップに注いだ。要らないって言ったんだから、恨みっこなしだぜ。
ゆっくり混ぜて均一になったところで、俺は口をつけた。あぁ、プロの入れるコーヒーは美味しいなぁ。この世界でもコーヒーはコーヒーでよかった。
「ふぅ……。ええっと、どこまで話しましたっけ」
「指輪を嵌めるには期間を設けてキミと契約しないといけない」
「ああ、そうでした。あともうひとつ」
「まだ何かあるのかい」
「えー、っと、俺自身について。
ご存知のように俺は無一文で、更に言うと、共通文字が読めないです。
あ! あと、過去の記憶が無いことになってます」
そんなところか?と自問していると、ヒソカがあきれたように短く息を吐いた。あ、溜め息か。
「無いことになってる、って、キミね……本当はあるのかい」
「あるには、あるんですけどね、なんていうか、全く異質な感じで……途中で途切れてるんです。
途切れたあと、次は急に試験直前っていうやつで、どう考えても繋がってないんですよね。どう思います?」
「聞かれても困るよ」
「ですよねー」
俺だって聞かれたら困るわ。ヒソカは興味無さそうだから、いいか。
「記憶はともかく、お金と文字が問題なんです」
「ボク、とてつもなく面倒臭いお荷物を背負った気がするね」
「そうですね。不束者ですがよろしくお願いします的な」
「……キミ、いや、いいけど」
何か言いたそうだけど聞かなかったことにしよう。
「期限、いつまでにしますか? 無職の文無しなんで俺は何時でも良いんですけど」
まあまあ長い方がありがたいけどね。
「キミ、さっきなんで九月一日って言ったんだい?」
「え? いや、いつでもよかったんですけど、なんか切りが良い気がして。あー、でも、例えに出すにはちょっと遠すぎましたね」
そう答えると、何か考える素振りをしていたが、すぐに
「他の期限を考えるのも面倒だし、それで良いよ」
とあっさり了承されてしまった。
結構先の話だと思うけど、良かったの……。予定がうまく埋まって驚いている。
「俺も、九月一日、大丈夫です。じゃ、指輪嵌めますよ。ヒソカさん、左手下さい」
「イイよ」
テーブルに置いていた指輪を取り、差し出された左手を受け取った。
自分の手と比べて少し大きい、無駄な肉の無い、指先が繊細そうな手だ。爪はきれいに切り揃えられている。見た目よりも硬く、指先までよく鍛えられていることが判った。
緊張しながらも何とか指輪を奥まで嵌めると、指輪が動かなくなった。
「なんとも変な感じだ」
「悪い感じですか?」
「いや。まぁなんであれキミが飛んで助けに来るのを見るまでは外すつもりはないけどね」
「ヒソカさん面白がってるでしょ」
「勿論。これから半年以上キミを養っていくには安い対価だと思うよ」
「うっ…………」
俺は返す言葉がなく、冷め始めた珈琲を飲むことで誤魔化すことにした。
続く。
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ハンター試験編終了! これからはヒソカと歩む半年とちょっとの魔界入りです。
というわけで次回からヒソカ編として名前も新たにまだまだ続きます。