環覚 002



「ルームサービスで食事を頼むけど、キミは何にするかい?」
 風呂から上がるとヒソカがメニュー表を見ながら声をかけてきた。
「……肉料理?」
「面倒だから自分で選んでよ」
 はいメニュー、と手渡されてしまった。めくってみれば、数ページに渡って文字だけ延々と書いてある。目がショボショボする。世間は厳しい。
「ヒソカさん、俺、文字読めないんですってば」
「それ、本当だったのかい? 文字が読めないって、どうやって生きてきたの」
「さぁ? 記憶が途切れたときに何があったのか俺にも分からないし、もしかしたら別の世界だったり……とかだったら面白いかもね」
 メニューを読むのを諦めてヒソカに返す。
「肉料理、ステーキあるかな? よく焼いたやつがいい。あとライス」
「あったよ。ドリンクはどうする?」
「烏龍茶」
「なんだいそれ」
 おもいっきり眉をひそめられた。
「え、無いの。まじか……じゃあ炭酸のジュース」
「コーラ?」
「違うのないの。甘いサイダーとか」
「おや、コーラ嫌いかい? サイダーね。じゃ、それでいいかな」
 俺が頷くとヒソカが内線で注文し始めた。
 なんか、漫画見て思ってたよりも普通の人だな。
 オールタイム変態では生活が成り立たないか。そりゃそうだな。
 俺もヒソカもホテルのタオルガウンを着て、それぞれでっぷりとした心地のよいチェアに座っている。コントか何かか、これは。いや、どう考えてもBLコミックの一場面だな。わらえる。
 それにしても目のやり場に困る……いや、疚しい意味はなく、実際にどこを見ていいのか分からない。
 ヒソカは置いてあった新聞を読み始めた。
 なるほど。俺は読むものがないぞ。
 かといって、やっときれいになった体で、あの薄汚れた服に着替える気もないしな……。
 目を閉じてゆっくりするか。
 ………………。

 幸いなことにそんなに時間がかからずに運ばれてきた。寝てるところを起こされたのは想像に容易いと思う。ヒソカの呆れ顔はなかなか面白かった。
「キミ、警戒とかないのかい。仮にも番犬紛いの事をするわけだろ」
「……、なるほど。
 でも、俺より強いヒソカさんに弱者の番犬が必要ですかね」
「それもそうだね。じゃあこの契約は無かったことにしようか」
「いやいやいやいや済みませんでした今回は私の不徳の成すところでありまして次回よりこのような不適切な対応はたぶんきっとおそらく回避できるように鋭意努力してゆきますので契約解除だけはご勘弁願いますでしょうかこの通りでございます」
 慌てて床に頭を擦り付ける勢いで下げてそう言うと、
「仕方無いね、今回は許してあげよう」
 ヒソカが言うのはそれだけで、特になにもなかった。よかった。むしろあそこまで言わなければよかった。
 冷めるよ、と促されて料理に目をやると、目が覚めたときから辺りを漂っているとても美味しそうな匂いが具現化したかのようなステーキが置かれていた。こりゃ涎が止まりませんな!
「いただきます!」
 手を合わせて一礼してから、ナイフとフォークを取る。左端にフォークを刺し、ナイフで切る。食べる。匂いを裏切らない美味しさ。あーーーー美味しいぞーーーー。


 すっかり食べ終わり、皿も下げてもらって、まだ肉の余韻にひたっていると、本格的な睡魔が襲ってくる。
「ヒソカさん、俺先に寝てもいいですか」
 あのベッドに早くダイブしたい。
「キミの好きにすればいいじゃないか」
 あーそんな面倒臭そうな顔しないで。
「ベッド、どっちがいいかな、と思って」
「ああ、じゃあボクはドアに近い方を使うよ」
「いいの? ありがとう。じゃ、俺しばらく寝てるから」
 ひらひらと手を振って、俺は寝室へ逃げ込んだ。よくわからないけど疲れる。というかひたすら眠い。ハンター試験で疲れてるのもあるだろうけど、なんていうか、どう接していいのかわからない。俺は一文無しだし。お金を稼ぐ方法がほしい……文字が読めなくてどうにかなる仕事って、ヤバイものか肉体労働かしか無いしな……。
 ばたりとベッドへ身投げして、俺は意識を手放した。このベッド心地好すぎ、最高……。


 妙な胸騒ぎがして、飛び起きた。
 ヒソカ、どこだ。
 ベッドに来た気配はない。メイキングされたままだ。
 あわてて寝室を出て、飯食った場所を見る。居ねぇ。どこだ。バスルーム、居ない。トイレ、居ない。玄関、居た!
「ひそ、か、さん」
 今まさに扉を開けようとしていたところを、なんとか呼び止めた。
「どこか、いくんですか」
「血相変えてどうしたんだい」
「指輪がちょっと騒がしくて。ものすごく遠くへ行く予定じゃないですよね、それなら俺も連れてってくださいよ」
 ヒソカはめんどくさそうに目を細めた。俺だってめんどくさいよ。
「あー、言いたいことは何となくわかるんですけどね。取り合えず指輪見せてもらっていいです?」
「やれやれ……ほら」
 すんなり左手を出してくれた。ありがたい。
 ヒソカの指輪に俺の指輪をあてると、心が落ち着いた。
「あー、落ち着いた。よかった。
 ところでどこか行くんです?」
「ちょっとそこまでだよ。メイは待っててくれるかい」
「とか言って遠くにいかないでくださいよ、次は部屋を飛び出さなきゃいけなくなりますから」
「見てみたいねェ」
「扉の修理代はヒソカさん持ちですからね、俺は知りませんよ。あぁ、修理が扉だけで済むといいんですけど」
「大丈夫さ、少しは信用してくれてもいいんじゃないかな」
「息をするように嘘をつくような奇術師を信用するには早くないですかね」
「たまには本当の事を言うさ。
 一時間で戻るよ。じゃあね」
「あ、ちょっと!」
 ヒソカは俺の話をさらっと流してさっさと出ていってしまった。
 大丈夫なのかな本当に。まあ、出掛けていくっていうのを聞いたし見たし、出ていっても指輪がなんともないから大丈夫なんだと思うけど。 
 今は休みたい気分、とか言ってたくせに、さっさと出掛けるとか休んでないだろ。
 まぁいいや、俺はあのベッドへ帰るぞ。
 布団に挟まって、ごろごろしてると、すぐに睡魔がやって来た。
 こっちに来てからずっと、隙有らば眠くて寝てるんだけど、なんだって、こんな……ねむ…………。


続く。




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眠いのは時差ボケです。