環覚 005



 衣類大量購入の翌日の昼下がり。
 いつの間に手配されたのか、大きなキャリーバッグが運ばれてきた。無難な色だが、なんとなくオシャレ。
「これでキミが欲しがっていたものは全部揃ったかい?」
「え? あっ、はい」
「まだ何かあるのかい」
「いや、充分すぎるほど買っていただきましたよ」
 まさかもう全部揃うとは思わなくて驚いた。服と言いカバンと言いこうもあっさり買い揃えて貰えるとは思わず、ヒソカの謎の寛容さに素直に感謝をして良いのか判らない。
「荷物、キャリーバッグに仕舞ってきますっ」
 何にせよ、カバンまで揃ったわけだから片付けなければ。昨日買ったものの内、すぐに着替える分だけ出して残りはベッド脇に紙袋ごと置きっぱなしだ。
 寝室に戻った俺はいそいそと紙袋から残りの服を一着ずつ取り出し、タグを切り、分類して、どんどんカバンへ入れていく。ついでに昨日まで着ていたスーツも入れる。更にスーツの時の靴まで全部入った。すごい。なんでカバンのサイズが丁度良いんだ。ヒソカは旅慣れているのだろうか。そんなに荷物をもって歩くようなタイプには見えないけど……。
 あまり深く考えない事にして、荷物の中から絵本を持ってリビングへ戻った。
 ヒソカは新聞を読んでいる。
 メモ帳とペンを電話台から拐い、絵本を広げて文字の練習だ。
 あひる、いちご、うさぎ、えんぴつ、お……お……おにぎりか、これ。いや、おむすびかな。どっちだろ。うーん、むずかしい。字形の変化に規則があるのは知ってるけど、難易度高すぎるだろ。
 平仮名が文句言える立場ではないことは認める。
 いびつな五文字をメモ帳の表も裏も書き散らかしたものを二枚つくって、飽きた。せめて名前だけでも書けるようになった方が良いのは解っているが、覚えた端から忘れていくような感覚があって、持続するのが難しい。イケメンになった代償か何かかと思うほどだ。
 書き潰した紙はさっさと捨てて、紅茶を淹れることにする。このティーバッグも安くないやつなんだろうな、とぼんやり考えながら角砂糖をドボンと入れ、溶かす。文字練習で疲れた脳に糖が効く。おいしいなぁ。ヒソカはまだ新聞を読んでいる。はぁ。ティーカップ一杯分の紅茶なんてすぐに飲み終わってしまい、さて、やることがない。
「ヒソカさん」
 声をかける。
「……何か、用かい?」
 少し間があって、ゆっくり顔をこちらに向けてから、ヒソカは応えた。
「指輪、九月一日までの契約ですけど……この後、ヒソカさんには予定があったりするんですか?」
 記憶の中の漫画からわかるスケジュールは断片的なものだ。ゴンが動くのに合わせて天空闘技場へ行き、その後は八月末にヨークシン。その間は?
「そうだね……まぁ一週間くらいはここで休むつもりだよ。その後は特に仕事もないし、まだ決まってない」
「仕事……してるの」
 旅団のこと? いやでもあれってお金でるのかな……。
「心外だナァ。ここのホテル代をどうやってだしてると思ってるんだい」
「え? うーん、強盗……強奪……脅迫……いやなんか似合わないな」
「一番はじめは少し正解に近いね」
「え、まさか銀行強盗? ヒソカさんが? 似合わない……」
 旅団だというのは知ってるけど、旅団に入る前からかなりの収入があるのでは……一体何を……ん? 天空闘技場?
「銀行強盗は違うけど、あとはキミの想像に任せるヨ。
 しばらくはゴンで遊ぶつもりだし……そういえば用事があるからそれに間に合うように移動するよ」
「ふぅん……まだ結構先の話?」
「いや、そうでもないはずさ」
「ふーん…………」
 会話が終わってしまった……もうやれることがない……。机に戻ってまた絵本でも読むしか……。
「さては」
 ヒソカがそう言葉を次いだ。話は終わったと思っていた俺は驚いてヒソカを見る。
「やることがなくて飽きてるね、メイ
「うっ………………はい……」
 そりゃバレるよな……。
「文字を書く練習はもういいのかい」
「見てたんですか? 絵本を見ながら書いてはみたんですけど、覚えられる気配が一向に無くてですね……」
 なんとなくばつが悪く、ちょっと言い分けをする。
「キミはもう大人だから覚えが悪いだけじゃないのかい? それか、そういう障害があるとかネ」
「いやぁ……もともとは識字に困ったこと無いので、障害があるとは思わないんですけど……」
 とは言っても、もともとの外見や体力、技量と大きく違うのだから、ファンタジー的な考えをすると、赤の他人の体に俺の魂だけが入っているようなものだ。この体がどんな人物だったのか知らないわけで、100%無いとは言いきれない。
「何にせよ、自分の名前くらいは書けるようになりたいですけどねぇ」
「それじゃ、飽きてる場合じゃないんじゃないかな。
 ま、精々頑張ることだね」
 話を打ち切られてしまった! くそー、漢字ドリルみたいなやつとか無いのかな……。
 俺はとぼとぼと元の机に戻る。絵本を開く。
 レオリオに俺の名前を絵本に書いてもらっておけばよかったなー。必死に書いたハンター試験申込書が懐かしい。


 この後五日間、他にやることなくホテルに缶詰めとなる。
 死ぬかと思った。


続く。




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改めてあのハンター文字をまじまじと見て、こんなの覚えられないな、と思いました。