環覚 006
「明日、移動するよ」
ヒソカのこの言葉が、どれだけ嬉しかったことか。
「そんなに嬉しそうな顔をするなんてネ……メイはボクと二人きりがそんなに嫌だったのかい?」
「一日殆ど喋らなくて、文字が読めずに暇を潰す物のない缶詰めがこんなに辛いとは思いませんでした」
ヒソカの嫌味も気にならない。何故なら本当に嬉しいから。やったー。
「それで、どこに行くんですか?」
俺はわくわくしながらそう尋ねた。ヒソカもどことなく嬉しそうな気がする。ほら、あんたも缶詰めでまいってたんだろ?
「ここから少し離れたところにある街さ。ゴンはしばらくゾルディック家攻略にかかりっきりだろうからね、それまでの暇潰しでもしようかと思ってさ」
「暇潰し……?」
イヤな語感だ。わくわくしていた気持ちが冷めていくのがわかる。
「キミにかかる雑費の補填とも言う。
ちょっと前に使った情報屋から連絡があってね。ま、行けば分かるよ」
「それ、確実に荒事じゃん」
完全に冷めきってしまった。平和な現代日本の平凡なデブ社会人だった俺には、殴るとこすら抵抗がある。あるんだってば。確かに、ハンター試験中では何回か人を殴ったけどさぁ……。
「文字も読めない、記憶もないキミにはこういう選択肢しかないだろう」
「うっ、ハイ」
そう言われてしまうと何も反論できない。俺は悲しみに暮れながらベッドへと移動して、そのままふて寝した。
ふて寝したということはすぐに明日が来てしまうということでもある。
朝食の後にシャワーを浴びて出掛ける準備。といっても、殆どはカバンに入っているし、他の何もかもはヒソカがやってくれるし、特別なにかをするということは無い。ガラガラとスーツケースを引き摺りながらヒソカの後ろをついて回ると、いつの間にか駅に着き、特急列車に乗り、降りたのであった。すごーい。
駅のコインロッカーに荷物を押し込んで、次はタクシー。街を縫うように走り、中華街で降りる。この世界にも中華街があるのか……と感心しながら、歩いて通り抜ける。あれ、抜けちゃった。大きな道路を渡り、路地に入ったあたりで、不穏な気配がし始めた。
「なぁ、ちょっと……」
小声で声を掛けると、ヒソカも勿論判っていたのだろう、人差し指を口に当てるジェスチャーをした。
いや、シーじゃなくてだな……目的地は本当にこっちなのか?
俺は数日前の出来事を思い出し、少し疑っている。これはもしや、目的地に向かっているのではなく、わざとゴロツキの多いところへ行き、殺気を放って挑発しているのでは? もしそうだと言うのなら、俺を巻き込まないで欲しい。路地に入ってからというもの、お腹の辺りがモゾモゾして居心地が悪いし。あ、モゾモゾはヒソカの殺気の所為か……。
そんな事を考えていたら、ヒソカが急に立ち止まった。危うくぶつかるところだったのを何とか俺も立ち止まる。
ヒソカはぎりぎりぶつからなかった俺を一瞥して、すぐそばの扉を不思議なリズムでノックする。ノック音が合言葉なんだろうか。少しの間があり、扉からカチャリと鍵の開く音がした。ヒソカは扉を開けてスルリと入っていく。俺も続いて入り、扉を閉める。すぐにまたカチャリと音がした。鍵が閉まったのだろう。
「やぁ、呼ばれたから来たよ」
部屋の奥に向かってヒソカが声を掛ける。あまり明るくは無い其処には小さな机と背凭れがある。くるりと背凭れが回り、人が現れた。いや、回転椅子に座っていたのか。神経質そうな経理のおっさん……が第一印象。少し太い黒縁の眼鏡にアームカバー。少し薄い頭。合っているのでは?
「来たか。書類を三件ほど届けてほしい。リンガーズ商会、レストラン・ウトマテイモ、ラルテパン興業だ」
男はそう言って、B5くらいの大きさの、少し厚みのある封筒を三つ、机の上に並べた。封筒にはそれぞれの宛先がきちんと書いてあるようだ。几帳面そうな字面をしている……が、俺には相変わらず読めない。
「わざわざボクを呼んで、それだけかい?」
「書類を『無事に』届けられるならな。
そこのペットは保険に入れてあるのか?」
ペ?! 俺の事?!
「まさか。そんなものが必要なモノには興味ないよ」
俺のことだった……。まぁ似たようなものか。
「封筒ってことは、ポストに入れればいいかい? 直接渡せ、ってことはないよネ」
「ああ、ポストでいい。相手が受け取ればコッチに連絡が来る。確認し次第、支払いを振り込む。金額は事前に知らせた通りだ。」
ん? 呼びつけておいて、用はそれだけ? そんなの郵便局に頼んだ方がよっぽど確実だと思うんだけど……詮索しない方がいいんだろうな、どうせロクなことが起こらないんだろうから。
「じゃ、振り込みの方、楽しみに待ってるよ」
ヒソカがそうやって話を切り上げたため、ドアに近かった俺は先に扉を……待てよ。どうせロクなことが起こらないだろうということは、これは扉を開けたらヤバいことになるのでは? こういうのはフラグだと古事記にも書いてある。
ヒソカに手で静止の合図をする。外の気配を探ろうとしてみるが、念も使えない素人の俺にはよくわからない。
依頼主を見ると、もう背を向けて何をしているのかわからない。まぁ、いいか。
入った扉の外は細い道で、あまりスペースがあるとはいえない。扉を開けると遠くから長物でズドン、はあまりなさそうだ。
「届け先の場所は判ってるんですか?」
「一応知ってるヨ」
なら大丈夫か。外に居るのは行きがけにヒソカさんが釣ったゴロツキ達だろうから、重篤な危機に陥ることはないだろう。
「じゃあ、荷物は頼みましたよ。
3カウントで開けます」
ヒソカは悠然と構えている。これは俺の覚悟を決める為のカウントだ。ええい、なんとかなる!
「3、2、1、ゴー!」
小声で宣言して、勢いよく扉を開ける。先に飛び出し、扉の前で待ち構えていた奴に右の拳を出す。び、びっくりした! まさか扉の真前に待ち構えている奴が居たとは……。拳は相手の左頬にヒットして、先制攻撃に成功した。近くに二人目は居ないようだ。先に外に出る。物陰から様子を伺っているような気配がいくつもあるが、飛び出てくるわけではないようだ。
「どっちです?」
「こっち」
ヒソカは後ろから出てきて、歩き出した。走っていくのかと思ってたから面食らったが、歩きの方が楽でいい。
次々に襲ってくるかと思ったがそんなことはないようだ。安心し…………前言撤回。少し広い道に出たところで大勢が待ち構えていた。
「これ、ヒソカさんのファンですか?」
「余裕そうじゃないか、メイ。じゃあ任せたよ」
そういうとヒソカは封筒を一つ俺に押し付けて、走り出した!
ヒソカを追うか俺をボコるかの二択で群衆が迷ってる隙に、俺はヒソカとは反対方向へ走ることにした。これはあれだ、俺は囮だ。
どよめく群衆を時々殴られながら抜けると、大通りに出た。土地勘が全くないわけだから、小道をウロウロするわけにはいかない。このまま大通りを走っていくしかない。
自分が長く走れる事は判っている。飛び道具がまだ出てきてないうちに、ある程度はまきたい。
続く。
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イベントムービー後に部屋から出ると敵が待ち構えているのはゲームあるあるですよね。