環覚 016



 天空闘技場初参戦から三週間。日長一日ダラダラしていた自分にはなかなか厳しいものがあると思いながら、闘技場へ日参していた。
 朝食を食べ、10時くらいに受付へ行き、昼前くらいに一試合組まされる。それでその日の仕事は終わり。んんん、社会復帰の為のリハビリでももう少し働く気がする。
 二日目からは「意識して殴る」を目標にして、殴ったり殴られたりしている。これがなかなか難しくて、血が出るような怪我はないものの湿布は欠かせない相棒となっている。
 のんびりやってる割に勝ち越していて、今は130階あたりをウロウロしている。おかげで小銭も溜まってきており、今日は次勝ったら買おうと思っていたデカいクッキー缶を200階の売店で買った。それとちょい高めの牛乳も。ヒソカも食べるかな。
「戻りまし、た……」
 ウキウキで帰った俺を待っていたのは、めちゃくちゃピリピリした空気のリビングであった。
 何? え、マジで何があった?
 リビングにはヒソカが一人、ソファに座っている。極寒の如き空気にしているのは、もちろんヒソカしかいない。
「おかえり、メイ
「はい……ただいまです。何かあった……んですか、ヒソカさん」
「ん? …………あぁ、ちょっとね」
 そこでやっと、空気が緩んだ。何かで部屋が張り詰めていたのだろう。ヒソカが緩めてくれた、というのが正しい気がする。
「そうだ、メイ、前にボクに闘わないのかと訊いてきたことがあったね」
「ありましたね、そんなことも」
「ちょうどいいタイミングで、面白そうな試合が申し込まれてね。ボクも闘るよ」
「あぁ……それでさっきはやる気が昂っていたんですか。リビングが地獄かと思いました」
 あれはヒソカのやる気がダダ漏れてたってこと? ヤバすぎでしょ……。
「それにしても、ヒソカさんがそんなにやる気になるって、相当すごい相手ってことですか?」
 相手を知らない体で話をする。
「あぁ……前にも一度遊んだことがある相手でね、リベンジだと言っていたよ。アレからどうなったか楽しみでね……」
 そう言いつつ、ヒソカはちょっとうっとりした顔をしている。
「それはそれは……良かった?ですね。
 試合はいつなんですか?」
「来月、4月の二週目だよ。その頃にボクの準備期間が切れちゃうからね」
 へ〜、などと返しつつ、牛乳を冷蔵庫に入れる。
「そうだ、クッキー買ってきたんですけど。ヒソカさんも食べますか?」
「キミが紅茶を淹れてくれるなら、少し付き合おうかな」
「じゃあ準備しますね」


 もうそんな時期か〜、などとのんびり考えていたが、のんびりしている場合ではなかったと気付いたのは三日後、ロビーで配られているオッズ表にヒソカ対カストロのオッズが載っているのを見た時だった。
(カストロ戦……ヒソカはめちゃくちゃな大怪我をするのでは)
 そんな状態で俺が割って入らずにいられるとは思えない。どんなに俺が判っていたとしても指輪が許さない。それはマズい。
 指輪を外させるか? いや、なんか、なんとなくだけどヒソカは了承しない気がする。
 だからといって、何も対策せずに部屋でおとなしく待っていられるとも思えない。何か、何か対策せねば。

 さらに数日後。ヒソカがリビングのソファに座っているのを確認して、俺は意を決した。頼まねばならないことがあるし、ヒソカ以外に頼める人はいない。
「ヒソカさん。カストロとの試合、来週でしたっけ」
 俺が若干の緊張とともにそう聞くと、ヒソカは見ていたヒソカ対カストロ戦オッズ表から顔を上げ、こっちを向いた。
「そうだけど、どうしたんだい?」
 俺がいつもと様子が違うのはバレバレのようだ。訝しむように目を細めて俺を見定めている。
「俺と、ヒソカさんがつけてる指輪は、普通の指輪じゃないっていう話なんですけど……。
 覚えてます? ハンター試験の一次試験、沼地の時のこと」
「……キミが血相変えて飛んできたことを言ってるのかな」
「それそれ。すごい、覚えてたんですね。まあ兎に角、ヒソカさんに何かあったら、あんな感じで、平時は使えもしない念を使ってでもでも助けに行っちゃうと思うんですよ」
 助けるってなんだ、と不服そうだが、話は全部聞いてくれ。
「それはヒソカさんの意志でも、ましてや俺の意志でもなくて……ヒソカさんの体が傷付けば、指輪が勝手にエマージェンシを俺の指輪に飛ばしてくる。俺はそれに応えなければならない。それがこの指輪の力。っていうの、指輪を嵌める時に一番初めに話したでしょ」
「それで、何が言いたいの」
 ヒソカはしびれを切らして結論を急いてくる。
「だから、その……」
 言いにくい。
「お、俺を、どんなに頑張っても動けないように」
 ゴクリ。俺は今踏み出してはいけない一歩を踏み出そうとしてる気がする。
「し、縛り付けるとか、固定するとか、できれば穏便な方法でヒソカさんの試合を台無しにしないようにしておいてほしいんです」
 あーあーあーあーあーあーあー言っちゃった、言っちゃったよ、完全に変態だよ、ぶっちゃけこれヒソカだってドン引きでしょあーあーあーあー!
「まるでボクが大怪我をするかのような言い方だね」
「レオリオの時、肩にトランプが刺さって、顔を殴られて、気絶して、その三つだけで俺は試験そっちのけで沼地をまっすぐ走って行ったんですよ。目の前にあるもの全部ぶっとばして一直線に」
 視線が痛い! 侮蔑と疑いと怒りを感じる! 違うんだよ、知ってるんだよ! あんた腕ちぎってでもやるでしょ!
「ヒソカさんだって、戦ったら無傷じゃすまないでしょ。怪我してでもカストロで遊ぶでしょ!」
 少し視線がましになった。侮ってるわけではないことを判ってほしい。
「俺はヒソカさんの邪魔はしたくないんですよ。こんな闘技場で、審判ありのルールありで、本当にヒソカさんの命が危なくなるなんて微塵も思ってない。
 でも、指輪はわかってくれない。擦り傷ぐらいだったらそわそわしてるので済むかもしれないけどさ、それ以上はどれだけの怪我になったらすっ飛んで行くのかとかわからないんですよ」
 必死の弁が伝わったのか、ヒソカは溜め息を吐いて、持ってたオッズ表を置いて、立ち上がって。近付いてきた。
 無言で近づいてくるの、怖いんですけど。あの、その。
「つまり、キミは」
 えーーっと、もう背中が壁なんですけど。
「ボクに縛ってほしいってこと、カナ?」
 ドン、と壁に手を突かれる。
 こ、これ、壁ドンとかいうやつですか。まさか男にやられるとは思ってなかったぞ。
「ものすごく要約すると、そうなり、ます、ね」
「ボクのお楽しみを邪魔しないために」
「そう、です、ね」
 どんどん顔が近付いてくる。なんで。
「その前に、メイは自分と楽しいことしてくれってことかな」
「たの、いや、たのしくなん」
 近付いてきたヒソカの顔は俺の言葉を遮るように接触した。接触?
「……あのねぇ、こういう時は目ぐらい閉じなよ」
 えーっと、
「び、びっくりして」
 俺がひねり出せた声はそれだけだった。
「ハンター試験中、散々人のことからかってたみたいだけど、初めてだったのかい?」
 今の、えっ、今の何? キスだよな?
「えーっと、男に、されるのは、さすがに初めてなもんで……」
「そう。次はもう少し色気のある顔を期待してるよ」
 それだけ言うと、ヒソカは俺から離れて、元居たソファーに戻った。何事もなかったように。
「あの、ヒソカさん、それで」
「なに」
「カストロ戦の時、は」
 なんかよくわからないけど、重要なのはその話だ。
「いいよ。特別なの、用意してアゲル」
「と、とくべつ……」
「気になる?」
「な、なりません、なりません。お願いする立場ですから! よ、よろしくお願いしますっ」
 頼んだ以上引けないし! 不穏な匂いしかしないから! 俺はキッチンへ逃げる!

続く。




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時間の流れがよくわからなさ過ぎて単行本とにらめっこしてます。
ゴンのギド戦が3/11で、一ヶ月で完治の描写が入ってるから、カストロ戦は4/11だろうと勝手に思っています。
ちょうど日曜だし、興行的においしいと思うんですよね。